高野文彰「参加とデザインの質」〜ピープルズ・パークから世田谷プレーパークへ

Landscape Philosophy × Playpark Movement

監修:株式会社アトリエ アムニー代表取締役 飯沼伸久(1級造園施工管理技士・ビオトープ施工管理士 在籍/2008年創業) 

公園は、与えられるものか。
高野文彰が米国で見た「ピープルズ・パーク」という衝撃〜

子どもたちが自分たちの手で遊びをつくり出す、冒険遊び場(プレーパーク)の様子。既製の遊具ではなく、木材や廃材、地形を活かして自由に遊ぶ空間 廃材や木材を組み合わせてつくられた、子ども主体の『廃材遊び場(junk playground)』。1943年にデンマークで生まれた思想の系譜を受け継ぐ遊び場

ランドスケープデザイナー・高野文彰氏(1944〜2021年)がアメリカでの学びから持ち帰った思想と、世田谷プレーパークに代表される冒険遊び場(プレーパーク)の市民運動。この両者が直接的に交わったことを示す文献は、決して多くありません。

しかし、高野氏自身が1997年に発表した論文「住民参加とデザインの質」、そして90年代初頭に高野ランドスケーププランニングに在籍したスタッフによる貴重な証言をたどると、彼がアメリカで受けた具体的な「衝撃」の正体と、その後の実践のなかで生じた葛藤、そして思想の進化がはっきりと見えてきます。公共空間や子どもの遊び場は、行政が上から与えるものなのか、それとも市民が自らの手で獲得し、育てていくものなのか——高野氏が半世紀近く前に向き合った問いは、今なお私たちの遊び場づくりの核心にあります。

公園づくりには、造形に劣らず大切なことがある——1969年、米国で見た一本の映画が、高野文彰氏に住民参加という手法への目を開かせました。

本コラムでは、高野氏がアメリカで出会ったローレンス・ハルプリン監督の映画『ピープルズ・パーク』、彼が1980年に発表した小論『against, for, with, by・・・・』、1997年の論文「住民参加とデザインの質」に至る思想の変遷、そして1979年に誕生した世田谷プレーパークとの関係を、造園・ランドスケープデザインの視点からたどります。

American Background, 1969-1979

アメリカでの学びと「ピープルズ・パーク」の衝撃

高野氏がアメリカのジョージア大学大学院で造園(ランドスケープ・アーキテクチュア)を学び、ASLA(アメリカ造園学会)から表彰を受けた1970年前後は、アメリカ社会全体が大きな転換期を迎えていた時代でした。公民権運動やベトナム反戦運動、環境保護運動が盛り上がる中、都市計画の分野でも、エリートが製図板の上で街を描くトップダウン型の開発への反発が起きていました。高野氏が「住民参加」という手法に目を開く直接的なきっかけとなったのは、この熱を帯びたアメリカで見た、ある一本の映画でした。

🎬 映画『ピープルズ・パーク』との出会い

米国滞在中、高野氏はランドスケープアーキテクトのローレンス・ハルプリンが監督した映画『ピープルズ・パーク』を目にします。ベトナム反戦運動が盛んな時代に、学生たちがキャンパスの一角に自主的に公園をつくり上げるという、衝撃的な内容の作品でした。この映画は1969年、セントルイスで開催されたASLA大会でハルプリン自身が上映したものです。高野氏はこの映画を通じて、公園づくりには造形に劣らず大切なことがあると気づかされました。

✊ 実際の「ピープルズ・パーク運動」

映画の題材となったのは、1969年4月にカリフォルニア大学バークレー校所有の空き地をめぐり、学生や地域住民が自発的に芝生を植え、遊具を持ち込んで「人民の公園」として解放した実際の市民運動です。トップダウンの都市開発に対する、市民によるボトムアップの空間獲得を象徴する出来事でした。

🛠️ ハルプリンのワークショップへの参加

その後1979年10月、高野氏はハルプリンが日本でワークショップリーダーを養成する目的で行ったワークショップに参加します。そこで「参加者が共通の体験を通して意見を交換し、様々な考えを共有していくプロセス」の重要さを痛感し、それまで漠然としていた考えが整理され、ワークショップによる創作活動に体系的に取り組むスタートとなりました。

A Testimony, Early 1990s

証言——羽根木の空き地に残された「初期衝動」

高野氏がアメリカから帰国した1970年代後半、彼が最初に取り組んだのは、立派な図面を引くことではありませんでした。当時、高野ランドスケーププランニングに在籍していたスタッフの証言が、その実態を生々しく伝えています。

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TESTIMONY

倉庫に眠っていた、住民参加の記録写真

1990年代初頭、高野ランドスケーププランニングのオフィスがあった旧チンネル小学校の倉庫には、住民参加の記録写真が大量に保存されていました。その中には、羽根木プレーパークの運動が始まる前後、高野氏がまだ30代だった頃の活動記録も多く残されていたといいます。写っていたのは、アメリカから帰国したばかりの高野氏が、予算のない公園行政の仕事に取り組み、羽根木の空き地に掘立小屋をつくり、子どもたちと泥まみれになって遊ぶ姿でした。

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REFLECTION

「デザインとは程遠い」ことこそが、最大のデザインだった

当時それを見ていたスタッフには、洗練された図面とは程遠い光景に映りました。しかし、それは公園に関わる市民運動の黎明期そのものであり、綺麗なハコモノを作るより、ゼロから市民と空間を立ち上げることの方が造園家として重要だという、高野氏の強烈な信念の実践だったのです。図面の上ではなく、現場の土の上で「市民運動というシステム」をデザインしていたと言えます。

その後、住民たちの取り組みを見ていた世田谷区が、1979年の国際児童年の記念事業として冒険遊び場を採択し、行政と住民の共同事業による羽根木プレーパークが誕生します。文献には残らないこの証言は、日本の市民参加型まちづくりの歴史における貴重な一次資料といえるものです。

A Designer's Struggle, 1980s-1990s

「参加と共有」の実践と、デザイナーとしての葛藤

初期に取り組んだ住民参加による公園づくりにおいて、高野氏の主眼は「参加と共有」に向けられていました。公園づくりのアイデアを共有し、それを深める作業に参加し、施工に参加するというプロセスを経ることで、でき上がった公園そのものをも多くの人々が共有できるものとしてつくりあげる——これが当時の高野氏にとっての住民参加でした。しかし実践を重ねる中で、高野氏自身はこの段階に十分な満足を得ることができませんでした。

🤔 デザイナーとしての反省

住民の意見をできるだけ尊重しようとするあまり、デザイナーとしての主張がどうしても控えめになっているのではないか。「ピープルズ・パーク」の衝撃が、手法としての住民参加に過度に重きを置くことを導いたのではないかという反省が生まれました。

⚖️ 手枷足枷という気づき

住民からのアイデアや要望を整理し、整合性よくまとめ上げる作業によって、果たして公園はより良いものになっていくのか。造形に劣らず大切であったはずの「参加と共有」が、実は造形を深める際の手枷足枷になってはいないだろうかと、高野氏は感じるようになります。

🎨 「再びデザインへ」

こうした葛藤を経て、高野氏たちは今一度デザインにのめり込む必要を感じるようになります。国営みちのく杜の湖畔公園などのプロジェクトを経験する中で、住民参加を免罪符とするのではなく、それを契機としてより質の高いデザインに進んでいくことこそがデザイナーに課せられた使命だと考えるに至りました。

最終的に高野氏は、住民参加における100%の賛同ではなく、最低限51%の共感を確保しながらデザインを熟成させる——コーディネーターとデザイナー、双方の役割で指導性と独創性を発揮することこそが、コンサルタントに求められる境地だと結論づけています。

Legacy, Today

高野文彰の思想は、アトリエアムニーの遊び場づくりへ

「参加と共有にとどまらず、デザイナーとしての高い次元の造形(形姿)を追求する」という高野氏の哲学の変遷。この視点から、仙台や埼玉を中心に活動するアトリエアムニーの幼児施設・保育園の遊び場づくりを見ると、高野氏の思想が現代的な形で継承・昇華されていることが読み取れます。

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01

脱「For kids」と、余白の創出

アトリエアムニーは、児童公園にあるような既製品の遊具を安易に設置しません。高低差のある土手、不揃いな石、流れる水、季節で表情を変える樹木といった自然素材を主役に据え、答えが決まっていない「余白」を残すことで、子どもたち自身が遊びを創造し工夫する力を養います。

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02

単なる「放置」ではない、「本物」の造形

アトリエアムニーの園庭づくりは、空き地を丸投げする遊び場ではありません。地域材や自然石を使った「本物」のデザインを追求し、ビオトープも水深数センチで安全性を確保しつつ在来種を導入するなど、生態系や衛生管理を論理的に裏づけた専門的な設計がなされています。

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03

「With people」の拡張、多世代交流へ

「多世代複合施設アンダンチ」などの事例では、子どもの遊び場と高齢者の憩いの場がシームレスに交わる空間をデザイン。共用井戸での水遊びが高齢者にとって懐かしい風景(回想療法)となり、地域社会や生態系と共生する「原っぱ的空間」を再生しています。

高野氏が羽根木の空き地の泥の中で実践した「ゼロから遊びを生み出す」精神は、大人が答えを決めすぎない「余白のデザイン」として、アムニーの遊び場づくりに脈々と息づいています。あの掘立小屋の泥臭い熱量は、時を経て、自然と人とを美しくつなぐ「生きた園庭」という形姿へと、確かなバトンとして受け継がれているのではないでしょうか。

Summary

まとめ——実践と理論、車の両輪

明文化された直接的な関わりを示す資料は少なくても、1970年代後半の日本において、「高野文彰氏がアメリカで学んだランドスケープ思想」と、「世田谷プレーパークに代表される冒険遊び場の市民運動」は決して無関係ではありません。

ピープルズ・パークの衝撃

1969年、ASLA大会で見たハルプリンの映画。学生たちが自主的に公園をつくり出す姿から、公園づくりには造形に劣らず大切なことがあると気づかされました。

Against, For, With, Byの提唱

1980年、公園と市民の関係を4段階に整理し、「By people」という理念を日本の造園界に発表。まちづくりの基本理念として広く引用される。

参加から、デザインの質へ

住民参加を免罪符とせず、参加の情念を高い次元の造形へと昇華させる——葛藤の末にたどり着いたこの境地が、後の代表作を生む原動力となりました。

Conclusion ── 車の両輪としての実践と理論

高野氏がアメリカで見た「ピープルズ・パーク」の衝撃、羽根木の空き地で泥まみれになった初期衝動、そして「参加とデザインの質」という思想の到達点。これらは、世田谷プレーパークの市民運動と同じ時代の必然を共有し、実践面と理論面から日本の遊び場づくりを変革していった「車の両輪」のような存在であったと考察できます。子どもの遊びを豊かにするランドスケープデザインを考えるとき、この視点は、今なお色褪せない指針となっています。

References

考察に関わる引用元・参考資料一覧

本コラムの考察は、以下の一次資料・証言・二次情報を基盤としています。

📄 主要文献(一次資料)

高野文彰・村松徳彦「特集・ランドスケープデザインにおける住民参加論 住民参加とデザインの質」
『ランドスケープ研究』(日本造園学会誌)第60巻第3号、212〜214ページ、1997年
→ J-STAGEで論文PDFを見る

高野文彰「against, for, with, by・・・・」『造園雑誌』第44巻第2号、日本造園学会、1980年

高野文彰「ちびっことりで・ワラビ・グスク〜地域の特性を生かした"あそび場"づくり 集団による創造性の開発」
『造園雑誌』(日本造園学会誌)第44巻第1号、44〜85ページ、1980年8月
→ AgriKnowledgeで論文PDFを見る

🎙️ 一次情報(証言)

1990年代初頭、高野ランドスケーププランニング(旧チンネル小学校オフィス)在籍スタッフによる実体験・目撃証言。事務所倉庫に保存されていた、1970年代後半(高野氏30代当時)の羽根木プレーパーク運動前後の住民参加の記録写真群に関する証言。

🎬 二次情報(歴史的背景) 1969年、カリフォルニア大学バークレー校の空き地で住民や学生が自主的に整備した『ピープルズ・パーク』当時の記録写真

ピープルズ・パーク運動:1969年4月20日、カリフォルニア大学バークレー校所有の空き地を、地域住民や活動家、学生らが自主的に「人民の公園」として整備した市民運動。同年5月15日、大学側が撤去のため警察を投入し衝突が発生(通称「血の木曜日」)。1984年、バークレー市の史跡に指定。
→ 関連映像を見る(YouTube)
→ 関連映像を見る(YouTube)

ハルプリンの「Take Part Process(テイキング・パート)」:ローレンス・ハルプリン&アソシエイツが1970年頃に体系化した、住民参加型の環境デザイン手法。自身が1969年の著書で示した「RSVPサイクル(Resources/Scores/Valuaction/Performance)」を骨格に、ワークショップを通じて参加者の創造性を引き出すプロセスとして展開された。

📚 二次情報(関連文献)

Lawrence Halprin, The RSVP Cycles: Creative Processes in the Human Environment, New York: George Braziller, 1969年

Lawrence Halprin, Jim Burns, Taking Part: A Workshop Approach to Collective Creativity, 1974年

🏞️ 世田谷プレーパーク関連

世田谷区・NPO法人プレーパークせたがや等による、羽根木プレーパーク(1979年開設)の沿革に関する公開情報。大村璋子氏・大村虔一氏らによる市民運動の経緯。
→ 世田谷区「プレーパーク物語」①(PDF)
→ 世田谷区「プレーパーク物語」④(PDF)

🌱 現代的継承の参照事例

株式会社アトリエアムニーによる、仙台・埼玉エリアの保育園・幼稚園の園庭デザイン、および「多世代複合施設アンダンチ」等の多世代交流ランドスケープ・ビオトープ設計の実践事例。

※本コラムは、ご提供いただいた一次資料(論文)および証言をもとにした考察記事です。高野文彰氏の思想と世田谷プレーパークの市民運動との間に、明文化された直接的な関わりを示す資料は限られており、本文中の関連づけは推察を含む考察であることをあらかじめお断りいたします。

From Philosophy to Practice

この「By people」の思想を、
現代の幼児教育へ。

高野文彰氏が生涯をかけて追い求めた「参加とデザインの質」という思想は、いま、保育園・幼稚園の園庭づくりというかたちで受け継がれています。「By people」は「By children」へ——アトリエアムニーが提案する、子ども自身が遊びを見つける園庭の具体像をご覧ください。

アトリエアムニーが提案する「By children」の園庭を見る →
Message from Our Expert

ビオトープ施工管理士・飯沼伸久より

高野文彰氏が葛藤の末にたどり着いた「参加を、より質の高いデザインへと昇華させる」という思想は、私たちが園庭やプレイグラウンド・ビオトープを設計するときにも、いつも立ち返る原点です。既製の遊具をただ配置するのではなく、地形や自然の起伏を活かし、子ども自身が遊びを発見し、創造できる「余白」をどうデザインするか——それが私たちの仕事の出発点だと考えています。土を掘り、水に触れ、木に登る。そうした本物の自然体験を、先生や子どもたち、地域の方々と一緒に育てていく伴走サポートを、これからも大切にしていきたいと思います。

ビオトープ施工管理士 / グッドデザイン賞・国土交通大臣賞受賞 株式会社アトリエアムニー代表 飯沼伸久