菜園・ポタジェ

Arahama Community Farm
荒浜発、コミュニティ・ファーム誕生!

震災を乗り越えて農場の始動です。

家庭菜園とポタジェ

東日本大震災後、仙台市荒浜地区の住民たちはより内陸の荒井地区に集団移転しました。主に貞山運河沿いで江戸時代から代々農業や漁労を生業とした人たちでした。震災後、荒浜地区の農家は法人化して農業を継続していく若い人もでてきてはいますが、移転後は住民の多くが高齢であることや、もともとの農地からも遠く離れてしまったことから、離農される人も増えてしまいました。そのような住民へ市民農園として開放しているのが「農園善喜屋」です。 荒浜地区の方々にとって、2011年の震災は単なる住居の喪失だけでなく、先祖代々受け継いできた「土とのつながり」を断ち切られるという、アイデンティティに関わる大きな出来事でした。

震災後の変遷と「離農」の背景

荒井地区への集団移転は、生活の再建という面では前進でしたが、農業の継続という観点ではいくつかの深刻な課題を浮き彫りにしました。

「農園善喜屋」が果たす3つの重要な役割

このような厳しい実情の中で、市民農園として開放されている「農園善喜屋」は、単なる趣味の場を超えた「社会的なセーフティネット」として機能しています。

今後の展望と考察

荒浜の農業は、「法人の手による大規模な産業としての農業」と、「善喜屋のような場所での生活文化としての農業」の二階建て構造で維持されていくのが理想的です。
かつて広大な土地を耕していたプロの農家たちが、今は小さな区画を慈しむ。その姿は、一見すると規模の縮小に思えますが、震災という大きな喪失を経て、自分たちのペースで「土との関係」を再構築しているプロセスだと言えるでしょう。
畑

家庭菜園と農園

善喜屋2023年秋
無人野菜販売所もでき、住民の楽しみも増えてきました。
市民農園 市民農園

農家が「主導」することの意義





行政が管理する公園ではなく、「荒浜の農家」が自ら運営しているという事実には、重い意味があります。それは、土地を追われた人々が「自分たちの文化(農業)を自分たちの手で守り抜く」という意志の表明だからです。 今後は、せんだい農業園芸センターなどの公的機関と、荒浜小学校という遺構、そして「善喜屋」という民間の実践場が有機的に連携することで、「世界で最も深い学びが得られる農業エリア」へと進化していく可能性を秘めています。 善喜屋は、荒浜の「過去(震災)」と「未来(食・農・コミュニティ)」を結ぶ、最も温かみのある「リビング・ヘリテージ(生きている遺産)」になっていくのではないでしょうか。 市民農園
集団移転地と善喜屋ファーム